201511/02

音楽歴史・偉人

ザ・ローリング・ストーンズの魅力について②

今回は「ザ・ローリング・ストーンズ」が結成にいたるまでと、バンドの初期を紹介したいと思います。

ザ・ローリング・ストーンズ②



ストーンズとしての活動の初めは1960年初頭まで遡り、バンド結成のきっかけはヴォーカルのミック・ジャガーとギターのキース・リチャーズの出会いでした。

イギリスはロンドン。共に1943年生まれのミック・ジャガーとキース・リチャーズは幼なじみでした。そして1950年代初め、双方の一家が引っ越すまでダートフォード(ロンドンの北部24kmのケント州にある町)のウェントワース・プライマリースクールでの級友でもありました。1960年、シドカップ・アート・カレッジの学生だったキースと、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生であったミックが通学途中にダートフォード駅で再会します。そしてその時にミックが持っていたのがアメリカから取り寄せたチャック・ベリーやマディ・ウォーターズのベスト盤のレコードだったのです。(ミックは上流階級の父と労働者階級の母の間に生まれたミドルだったので裕福だった!)お互いの趣味が明らかになって友情が復活し、バンドを始めることになったのです。



バンドの名前は当時キースがボーイ・ブルーと呼ばれていたことから「リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」でした。2人の共通の友人であったディック・テイラーがベースを担当、3人でロックンロールや黒人音楽に夢中になっていました。その後1961年頃になると「アーリング・ジャズクラブ」でアレクシス・コーナーの「ブルース・インコーポレイテッド」のステージにゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのスライド・ギター(曲はエルモア・ジェームスの『ダスト・マイ・ブルーム』)を目の当たりにして衝撃を受けます。「ブルース・インコーポレイテッド」には、後にストーンズのメンバーとなるイアン・スチュワートとチャーリー・ワッツも参加していました。自分のバンドが欲しかったブライアンがギタリストとして、イアンもピアニストとしてミックとキースのバンドに加入、メンバーのまとめ役だったイアンがリハーサル・ルームを借りてセッションをするようになります。また、アクレシスがBBC放送に出演するようになるとマーキー・クラブに代役として出演するようになりました。ちなみにこの頃ミック、キース、ブライアンの3人は奨学金でキングズ・ロードのはずれにあるエディス・グローヴのアパートで同居生活も始めています。
1962年7月12日、マーキー・クラブで「ザ・ローリン・ストーンズ」(The Rollin' Stones)として初のギグを行います。バンド名はブライアンが「ジャズ・ニュース」紙とのバンドの出演に関する電話の間に決定したと言われています。バンドの名前を尋ねられたブライアンはとっさに床にあったマディ・ウォーターズのレコードを見てその中の1曲『ローリン・ストーン』をバンド名にしたのでした。(当時の彼らにとって電話代は貴重だった)
そしてディックが学校生活に戻るとビル・ワイマンがベーシスト、チャーリー・ワッツがドラマーとしてバンドに加入し、バンドのリズム体が確定しました。ビルが加入した理由は、大出力のVOXのベース・アンプを所有していたからだったといいます。当時アンプは高価なものだったためアンプとセットでビルもバンドに引き込まれたのでした。チャーリーには腕利きのドラマーとしてメンバーは前から目を付けていました。しかしチャーリーはジャズ・ドラマーであったため、最初はブルースとロックンロールを主体とするストーンズへの加入を渋っていましたが、メンバーは説得を重ねてチャーリーの同意を得る事に成功します。
こうしてメンバーが確定したストーンズはレコード制作を目標にクラブのレギュラーを獲得して出演を繰り返しながら徐々に聴衆を増やし、頭角を現していったのでした。



そしてバンドの評判を聞きつけ、レコーディング契約を結んだのがアンドリュー・オールダムです。オールダムは「ザ・ビートルズ」のマネージャーのブライアン・エプスタインの下でビートルズの宣伝担当をしていた青年でした。エプスタインとの口論で担当を降り、新たな仕事としてストーンズのマネージャーとなったのでした。オールダムはバンド名の綴りを「The Rollin' Stones」 から 「The Rolling Stones」へ変え、キースの姓もポップに見せるために「リチャーズ」から「リチャード」と変えさせました。(後に元の姓に戻す)イアンはビジュアル的にオールダムのバンドの構想に合わず、6人は多いという理由からバンドの創設者の1人であったにもかかわらずメンバーから外されロード・マネージャーにされてしまいます。しかしイアンはその後も1985年に死去するまでサポート・メンバーとして大きく貢献しています。
そしてオールダムによってストーンズは「デッカ・レコード」と契約することに成功。これには過去にデッカがオーディションでビートルズを落としてしまったという失敗が背景にあると言われています。ちなみにビートルズはこの頃「プリーズ・プリーズ・ミー」、「フロム・ミー・トゥー・ユー」でNo.1ヒットを獲得していました。そしてついにストーンズはデビュー・シングルとしてチャック・ベリーのカヴァーである『カム・オン』を1963年6月7日にリリースします。しかしメンバーは自分たちの音楽とは反した一般受けを考えたように制作した同曲を嫌い、ライヴではほとんど演奏しなかったといいます。
かくしてこのデビューを皮切りにストーンズはビートルズの対照的な存在として爆発的な人気を獲得するようになるのですが、それはまたの機会に。


 
ちょっとした出会いが以降何十年も共にバンド活動をすることになるというのはとても興味深いですね。
バンド活動をする皆様をリフレクトスタジオはお待ちしています。

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